もくじ
はじめまして
インドネーム「Meenatchi(みーなっち)」という名前で活動しています、みほです。
ミーナクシ(Meenakshi)という女神様のお名前をインドのシッダ協会、そしてアガスティアの葉から認めて頂いたのですが、タミル語では「Meenatchi(みーなっち)」という発音になるのでそう呼んでいます。
シッダ協会もアガスティアの葉に聞いてその名を付けて下さったと聞いていて、私のアガスティアの葉でも、その名を付けられた由来も言われてました。
幼いころに決めた”生きる意味”
私の人生における大きな価値観を決める変化が自分の中で起きたのは、小学校高学年か中学生に入ったくらいのころでした。
その日は台風で家の窓から見る景色は暴風雨と雷。夜暗い部屋で電気もつけずに窓から外を眺めていました。
私がそこで思ったことは「人間はこの雨も雷も止めることが出来ない。なんてちっぽけなんだろう」と思ったのです。それと同時に「無力な私はなぜ生きているのだろうか?」と。
当時は生死に興味を持っていました。特にこの日は自分が生きる意味について考えていました。
幼い私が辿り着いた答えは「私は死んでもいい。でも、私が死んだら、家族や周りの人が悲しむ。ならば、私は人のために生きるべきだ。」
極端でしたが、当時の私にとってこの答えは最良でした。命が自分のものだと思ってしまったら、生きることへの価値づけが出来なかったのです。しかし、私は、幼い自分が決めたこの生きる意味に長年苦しむことになりました。
幼少期の母親との関係性も影響していますが、結果的に私は自分自身に対して、”自分を大切にするよりも他人のために生きる”という難題を課してしまったのです。”他人のためにならなければ生きている価値がない”とまで思うほどに自分を苦しめました。
学生時代の夢
看護師や保育園の先生などの夢を持ちましたが、高校生の時に私が目指そうと決めた職業は“養護教諭(保健室の先生)”でした。
他校に通う中学時代の部活の先輩が、妊娠により退学したという噂を聞いたことがキッカケでした。
妊娠をしたら、自分の夢をあきらめなければならないのかとその時に思ったのです。そして、私は自分の未来を守れるだろうかとも不安になりながら、『「人生をどう生きるか」を共に考え伝えられる人になりたい』と思いました。
私は子どもが好きだったこともあり、それが出来るタイミング・役割を考えると養護教諭がぴったりだと思いました。
元看護師である母の助言もあり、看護大学で養護教諭の資格も取れる学科を選択しました。
大学の実習時の導き
大学3年生のころには少人数のチームごとに各科の実習が始まりました。
母性の実習で産婦人科の実習の際に、初めてお産に立ち会いをさせて頂きました。それまでは助産師という仕事について興味を持ったこともありませんでした。
実習の担当指導者の助産師さんもとても優しく、助産師がお産時の空気を作り出して母子を守っていると強く感じました。
そして、高校生の頃の『「人生をどう生きるか」を共に考え伝えられる人になりたい』という夢に対して私は、人生・命を語るには知識が足りなすぎると思ったのです。
そこから私は助産師を目指すことを心に決め、看護師と養護教諭を目指し就職活動を始める友人たちを横目に、1人受験勉強を始めました。
新しい夢は社会革命
助産師学校へ無事合格し1年間多くを学びました。
この頃に様々な知識を得て感じていたことは、なんてこの世の中は生きづらいのだろうかという事でした。
自分たちが生まれる前の時代の方が、人と人との関係性も深く温かかったのだということ、そして今の私たちが当たり前だと思っていることが健康を害することに繋がっていることもあるということ、などを変えたいと思うようになりました。
世の中が良しという事が必ずそうでない、情報過多の中何を信じたらよいのか?
どうやったら人生を楽しみながら健康に生きて行けるのだろうか?
私は社会革命を起こしたいと思うようになりました(笑)友人にも笑われていましたが、それくらいの気持ちでした。
ある日、弟に「私、世の中を変えたいから、助産師じゃなくて政治家になろうかな?」と言ったことがあります。弟からの返信は、「何歳から選挙に出れるか知ってるの?」
政治のこと何もわかっていないのに何言ってるんだと言いたい弟の気持ちがそこから伝わってきて、何も言えずに夢破れました(汗)
政治家にならずとも、助産師という仕事を通してそれをすればいいと思うようになりました。
妊産婦さんや赤ちゃんたちが『「人生をどう生きるか」を共に考え伝えられる人になりたい』そして社会革命をいつか起こしてやるぞ!と意気込んでいました。
助産師としての勤務
その後、助産師として東京都の地域周産期母子医療センターで勤務することになりました。
新生児特定集中治療室(NICU)と言われる病棟にて、病気を持って生まれた赤ちゃんや予定日よりも早く・小さく生まれてきた赤ちゃんの治療に携わりました。
助産師1年目の頃…命の誕生に携わる喜びがある一方で、職場の人間関係や責任感の重圧が積み重なり、心のバランスを崩してしまいました。うつ病と診断されました。
私の心を救ってくれていたのは赤ちゃん達でした。
500g程度の体重で懸命に生きて、昨日できなかったことが今日には出来るようになっている、そんな強い生命力を目の当たりにして、「私も頑張らなきゃ、前を向かなきゃ。」と彼らの生きようとするエネルギーに心を打たれて、恩返しをしたいという気持ちで働きました。
アガスティアの葉との出会い
うつ病と診断され、何とか回復し始めた矢先、父が急性心筋梗塞で突然他界しました。50歳でした。
何より私を一番に応援してくれていた父を失い、自分の将来や母の健康に対する不安が一気に押し寄せてきました。「私はこれからどうやって生きていくんだろう。母や自分はいつまで健康でいられるのだろう。」そんな不安ばかりが頭を巡り、明日を考えるのも怖い日々が続きました。
ある日、仲の良い方に誘われ、仕事帰りにその方の事務所で待つことになりました。その事務所にはガネーシャの像が置いてあり目を引かれました。なんとなく宗教的な何かかなと思いました。
後でその方に「あの像、何ですか?」と尋ねると、「アガスティアの葉って聞いたことある?」と話を切り出されました。そこで初めて、家族構成や自分の素質、さらには使命や未来まで教えてくれるというアガスティアの葉の存在を知りました。
父の急逝や自分の将来に対する漠然とした不安が募っていた私は、「私も聞いてみたいです」とすぐに答えました。自分の未来や家族のことが知れるのなら、何か救われるかもしれないと思ったのです。私がアガスティアの葉の第1章を初めて聞いたのは、2018年5月28日のことです。
そこには、私の両親の名前、父が既に亡くなっていること、私の生年月日、助産師という職業、さらには前の恋人への未練までも(汗)記されていました。すべてが正確に言い当てられ、私は驚きと同時に不思議な感覚に包まれました。
(当時はオンラインではなく、直接主宰者の自宅でインドの先生と通訳者と対面でリーディングを受ける形でしたので、自分の葉の写真を撮らせてもらうことが出来ました。※現在はお写真の撮影が出来ません…)
助産師を辞める決意
NICUで勤務をしているうちに、早産児を減らしたいと思うようになりました。
命を救うために早産になることはやむを得ないのですが、感染症や母体合併症の防げるものを少しでも防ぐようなことが出来ればいいなと。
それは、父の他界が大きなきっかけでした。それを機に健康について良く調べ学ぶようになったのです。
私の夢も、妊産婦さんや赤ちゃんたちが『「人生を“健康に”どう生きるか」を共に考え伝えられる人になりたい』、そんな夢に変わっていきました。
更に、早産になった我が子を見て自責の念に駆られているお母さん達を見ているのがつらかったことも理由です。決してお母さん達が悪いわけではないのですが、そう思ってしまうお母さん達が減って欲しかったのです。
事前に知識を得ていれば何か変えられたかもしれない。どうすれば早産を減らせるか?そう思い、夜勤の合間など文献を検索しまくり読むようになりました。
そして私が辿り着いたことは、妊婦さんのコンサルをしようという新しい夢でした。経済状況も求めるものも価値観も違う方々に1つの方法だけしか示せないのはナンセンスだと思っていたので、その人に合った最良を伝えるような仕事がしたいと思い、退職と独立を決意しました。
その間もアガスティアの葉を定期的に聞きながら、辞める時期を探っていました。
5年目という節目で退職を決意しましたが、アガスティアの葉に辞めてはいけないと止められた春、世の中はコロナで大騒ぎになりました。
その後頃合いを見て無事退職をして、貯金を切り崩しながら経営プランを練り直ししていました。しかし、「自分で産み育てた経験がない私の知識は頭でっかちでしかなく、実際の育児を知らない私が伝えられない」と急に不安になり、あれほど自信満々に意気込んでいたにも関わらず、目の前が真っ暗になったのです。
すると、その状況を見計らってか、アガスティアに当時葉の主宰を行っていた方のところで働きなさいと言われました。
主宰の方も会を大きくしようと思ったタイミングで、立ち上げを手伝ってほしいと言われ、そこで働くことになりました。
後から考えてみると、数百人の赤ちゃん達の相手をしてきた実績を考えると決してただの頭でっかちではなかったのですが、アガスティアが様々な私に必要な経験もさせながら、導いて下さったのだと思っています。
主催団体での活動と独立
前主宰団体では、英語が話せないにもかかわらず(汗)インドへの旅も企画からアテンドまでを行い、今まで7回程インドへも行き、数十カ所の寺院を廻り儀式へも参加してきました。
アガスティアの葉について一番弟子として学び、解説も300人以上の方の解説も行わせて頂きました。章にすると数百章分の解説に携わってまいりました。
その中で私の精神面が大きく変わってきました。
元々はとても神経質で不安症、予定通りに物事を勧めたい私にとって、マイペースで時間にルーズなインド人と英語も話せないのにやり取りをしながら、数十人のアテンドをすることはとてもストレスでした。
しかし、何回もしていることで不思議と慣れてくるもので(笑)、予定通りに行かなくても仕方ないと思うようになり、急な変更やトラブルに対しても動じることが少なくポジティブに対応できるようになっていました。
独立をした後の8回目になるインドの旅で、一緒に行った方に「何が起きても動じないし、色んなことをプラスに捉えるよね」と言われました。
正しくそれらは様々な経験をさせて頂いたおかげだと思っています。
幼いころに自分に課した生きることへの重りを最近は少し外せるようになったと感じています。それはやはりアガスティアの葉が私の精神的な部分に対してもアドバイスを与え続けて下さったことや、乗り越えるための試練を与えて下さったからだと思います。
「人生を重くとらえずに楽しみなさい。」「今は迷いがあても、光が見えて良い形にそこに到着して安心できる。」など、必要な時に必要な言葉で私を支えてくれたのは、アガスティアの葉でした。
アガスティアの葉が、未来への不安を払拭してくれたからこそ、“今”に集中できるようになり、今を“楽しもう”と思えるようになりました。
独立に関してもアガスティアの葉において言われたことでした。今後は聖なる知恵の発信や、インドへの旅の企画も行うように言われており、実施していきたいと思っています。
助産師時代、妊産婦さんや赤ちゃんたちが『「人生をどう生きるか」を共に考え伝えられる人になりたい』そして社会革命をいつか起こしてやるぞ!と思っていたその夢は、対象者がもっと広がり大きな夢に変わってきたように感じます。
アガスティアの葉は、私が助産師時代に夢に持った「その人に合った最良を伝える」ものです。
多くの人が『「人生を“楽しく・健康に”どう生きるか」を共に考え伝えられる人になりたい』
そして社会革命をいつか起こしてやるぞ!(笑)
それが今の私の夢であり、使命だと思っています。
こんな私をどうぞよろしくお願いいたします。
Miho Meenatchi Saruba Mataji
おまけ話:私の第9章【先祖の因縁】
初めて葉を聞いた当時は、代行を申し込む前にも他の章が聞けたので、父親が50歳という若さで他界したことがとても気になっていたため、父親のことが書かれている章(9章)も早々に聞きました。
下記は自分で文字お越しをしたものの一部抜粋です。父は先祖の因縁により寿命を生きることが出来なかったことが記されていました。何より先生たちが知るはずのない父の素質がそのまま書かれていて、涙が出るほど私の胸に響きました。
葉をきく時には父は亡くなっている
亡くなる時期ではなく、さらに20年寿命はあった
先祖の因縁が父の寿命に邪魔した
父の性格について・・・
父の未練とそれを解消する方法
私の最初の子供は父の素質をもって生まれてくること、など
この葉を聞いた時に、私はアガスティアの葉を本当の意味で信じ、目に見えない世界が確かに存在するのだと確信しました。
先祖の因縁について
また、この数年後に母親と父方祖母もアガスティアの葉を聞いていますが、上記の葉を呼んでくれた先生とは違う先生の葉で聞きました。
話は少し逸れますが、父方祖母の葉を聞くと、先祖の因縁が続いていたことを理解できたので、先祖の因縁について知っていただくためにも紹介したいと思います。
周りの男たちが自分よりも前に亡くなるということ
その原因が、(祖母の)父方の先祖の因縁
それが(祖母の)父、主人、息子、息子の子供に影響が出ていること
実際に父方祖父は62歳で他界、父も50歳で他界しています。
このように先祖の因縁があったとしても、それを軽減させるための儀式やお守りをお願いすることもアガスティアの葉ではできますので、ご安心ください。
神の祝福が少ない
9章ではもう一つ大きな事を言われました。
神の祝福は少ない。
そのためだから、大きく努力が必要
その原因は過去世で、神に関わることで間違ったことをして恨みをかったこと
南インドにある、お寺に自分で行くことが解決方法
この内容はショックも受けずにそのまま受け取り、インドに行けば良いんだとだけ理解して、この年の夏休みを使ってインドに直接行きお寺で儀式を行ってきました。
それが私の初めてのインドの旅でした。
その後は神様からの祝福も得られるようになりましたが、面白いのは、インドでお寺を廻ると訪れたお寺の神様からの祝福が得られていると葉に書かれていることです。
先生方は、私たちがどのお寺に行ったかを知らないはずですし、一緒にインドに行ったメンバー同士でも、特にどのお寺で祝福を頂いたかが違います。そんなアガスティアの葉の内容の変化や個人個人の違いにも面白味を感じています。
「み」は内面と外面の魅力、「な」は愛と感謝の気持ち、「ち」は聖なる智恵。
そのような意味を持つ「みーなっち」という名前をアガスティアから受けました。
追記)2024/11/18、新たに「Miho Meenatchi Saruba Mataji」という名をアガスティアの葉から頂き、その名前で活動するように言われました。